私は、雪深い秋田県大館市で生まれました。1歳の時に、脊髄性小児麻痺にかかり、歩行能力を失ってしまいました。小・中学生時代は、母に背負われて通学。歩けないという大きなハンディをもった学校生活では、惨めな思いも沢山ありました。通信簿はいつも1。トイレも我慢しなければなりませんでした。しかし、「どんな人でも、生きていく役目をもっているんだよ」との母の励ましを支えとして頑張ってきました。
高校生の時に、弁論部に入部。これが私の転機となりました。地方大会では多数の優勝を重ね、全国大会では、準優勝を獲得。弁論部への入部の動機は、「弁論で弱い者を助けたい。正義を伝えたい」という思いからでした。振り返ってみれば、私の議員としてのルーツはこの時にあるのかもしれません。
昭和44年に日本大学法学部を卒業。平成5年、障がい者雇用促進月間の9月10日〜17日に、障がい者の雇用促進を訴えながら、新潟〜東京間を車椅子で走ることに挑戦。幾多の困難を乗り越えて、約360kmを車椅子で走り抜きました。この様子は、テレビ朝日系列で全国放送され、大きな反響をおこしました。
同年の葛飾区議会選挙で当選を果たし、以後7期に渡って区政に取組んできました。平成23年には、長年にわたる地域活動の功績が認められて、東京都知事より表彰(東京都功労者表彰地域活動功労)を受けました。更に令和元年6月には全国市議会議長会会長より、区議会議員とし25年の長きにわたっての功績を表彰されました。
有難いことに、さまざまなところから講演の依頼をいただきます。その中でも、全国の小・中学校で、著書「80cmに咲く花」を通して、「ボクのように歩けなくても、通信簿が1でも、諦めないで挑戦すれば社会の為に役立つ」と、子供達に生きる勇気を語り続ける活動は、私のライフワークとなっています。講演後に子供達から贈っていただいた感想文や寄せ書きは、私の大切な宝物となっています。
平成25年6月23日に行われた東京都議選に葛飾選挙区から無所属で立候補。8,667票という大きな支持をいただきながらも落選。しかし、この選挙戦を通して、あらためて「葛飾区こそが私の原点」であることを強く自覚することができました。

平成26年5月28日、全国市議会議長会から、区議会議員として
20年の長きにわたっての功績を表彰される。